考えることの罠〜責めず、比べず、思い出さず〜

念起こる、これ病なり。継がざる、これ薬なり。(本文より引用)

 生きていれば失敗や、嫌な経験は誰にでも起こる。このような出来事を通じて、物事が上手くなったり効率よく動けるようになることもある。でもこの辛い思い出がいつまでも頭に残っているのは大変だ。頭によぎるたびに当時の嫌だった思い、悲しい思いが心に広がる。そんな状態がいつまでも続くと、ずっとクヨクヨ考えて新しい挑戦の妨げになったり、楽しく生きるのが難しくなってしまう。これは本当によくないことで、怖いことだと思う。嫌な思い出が忘れられない、過去の出来事のせいで今が楽しめない。この悩みを解決できるような知恵はないだろうかと図書館で本を眺めている時に目に止まったのが「責めず、比べず、思いださず 苦しまない生き方」というタイトルの本書。
 著者の高田明和さんは脳医学、血液医学、生理学が専門の医師で、仏教の禅の分野にも造詣が深い。この本では医学的な考え方と、禅での考え方と、ふたつの面から苦しまない生き方について語られている。

 なぜ嫌な経験でいつまでも苦しみ続けるのか。答えを書くと、それは考えてしまったり、思い出してしまうから。

 全く意図しないままに、ふとしたきっかけで記憶の中の嫌だったことが呼び起こされる。あの時こんなことがあったな、こんなことをされたな。当時の記憶が映画のように頭の中を流れ、目の前のことに集中できない。当時の嫌な感情まで呼び起こされて、まるで今起きたかのように現在の気持ちまで落ちこんでしまう。この流れは自動再生のようなもので意識的に行なっているわけではない。だからこそ打つ手がなく困ってしまうのだ。
 お釈迦さまの残した言葉の中では、人は執着や妄念によって苦しむ、というように言われている。そしてこの執着や妄念は、「考えること」から生まれるとされている。人の心はそもそも清らかなものであるのに、考えることが原因で執着や妄念を生み出し苦しみにとらわれてしまう。冒頭に引用した1行はこれに関する内容で、「心のあり方が正しくないと“考え”が浮かんでくる。“考え”が浮かんできた時は、それを頭の中で膨らませない、それ以上考えることを進めないようにしなさい」という意味だ。
 嫌なことを考えていると、脳では実際に嫌なことが起きているように反応して、不安を感じる部分の働きが活発になるそうだ。逆に、嫌なことを感じたり思い出す回数が減ると、脳の不安を感じる部分の働きは少なくなり落ちついていくことがわかっている。記憶のメカニズム的にも、何度も思い出したことは嫌な思い出であろうが脳が重要な情報だと認識する。重要な情報は長期記憶としての頭の引き出しに定着する。こうしてどんどん忘れにくく、思い出しやすくなってしまう。
 このように苦しいことについてあれこれ考える、思い出すということがそもそもの終わらない問題のきっかけ作りになってしまっている。

 この苦しみのもとを断つにはどうすればいいのか。ずばり本書のタイトルにもなっている「責めず、比べず、思いださず」ということになる。しかしそうは言っても考えないというのはそう簡単なことではない。自然に浮かんで自動再生が始まってしまう。なので考えないことの練習として座禅が紹介されている。なんと座禅の目的は「考えないこと」だそうだ。座禅中は呼吸の数を数えたり、体の状態に意識を向けたりして、考えないためのやり方も詳しく紹介されている。この時の呼吸もとても大切で、ゆっくりと長い呼吸がいいと書かれている。ゆっくりとした呼吸は副交感神経のスイッチになり、戦闘モードだった神経を休ませ、血圧が下がる、血糖値が下がるなど医学的にもいいことがたくさんある。座禅に関するページには絵も載っていてどういう姿勢がいいのか、手の形、足の組み方までかなり具体的に書いてあるので気になる方は実際に本を読んでみると役にたつことがたくさんあると思う。

 本書では仏教のことがたくさん出てくるが、悟りを目指しましょうとかそういう形式ばった意図はない。楽しく生きるための方法として登場する。個人的にはお釈迦さまの考えていたこと、話したことの内容なども興味深いなと思って読んでいた。人は意識が生まれたその日から考えることの苦しみを背負い、いつの時代も同じようなことで頭を悩ませていたのかと思うと、大昔の人も現代の人も大きな差はないように思えて不思議な気持ちになる。何度も繰り返し頭をよぎる嫌な思い出も、考えるのをやめなさいという答えは、シンプルで分かりやすい。どうすれば良かったんだろうとか考えているから、いつまで経っても同じことで頭がいっぱいになってたんだなと感じた。思うて詮なきことは思わず。これは本書の中で登場する、考えても仕方のないことは考えないようにしましょうという意味の言葉。考えないようにしようということが、色んな言葉で繰り返し紹介されている。こういう言葉があるって知るだけでも動き方や立ち回り方が変わっていいと思う。

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