読書は派手な行為?〜読書!読書!読書!さあ今日も読書!を読んで〜

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「私は紙に書かれた文字を読んでいるのでなく、著者本人と会話している。」という意識

 この本は三浦優樹さんの書かれた本で、「読書がいかに大切か」ということが色んな場面、活用法を通じて語られている。読書家とはどの程度の読書習慣を持つ人のことなのか?という三浦さん自身の定義なども書いてある。

 面白いなと思ったのは読書は派手な行為だという章。日本人は2人に1人が本を読まないそうだ。僕も職場や友人の顔を浮かべても、ほとんどが読書をしない人だ。僕自身も学生の頃はほとんど本なんて手に取ることもなかった。
 読書がなぜ派手なことなのかというと、読書とは著者との濃密なコミュニケーションだから。2時間かけて1冊の本を読んだとすると、それは著者と2時間ものあいだ、1対1で会話したことと同じになる。そんな行為を自分のお金と時間を使ってするというのは派手な行為と言わず何であろう、というようなことが書いてあった。「読書は地味」というイメージに対して、「派手」という表現で読書を語っているのが面白いなと思った。ただこう言う本を読むと僕の読書はやっぱりそんなに上手な読書はできてないなぁと思う。読書をしていてもついつい文字を流し読みして「あれ何の話だ?」となることも多いし、書いてある内容に疑問が湧いたりすることも滅多にない。普通に人と向かって話していると、それってどういう意味?とか疑問も湧くのにどうして本ではならないんだろうか。冒頭の1行は、会話しているように本が読めるようになったらいいなと思って選んだ。
 そんなうっすい読書でも続けていると「読んで知った役にたつことを、他の人に伝えたい」という想いが湧いたりする。著者の三浦さんも警察職員として働いていたが、読書で得た知識を他の人に伝えていく方が、世のためになるのでは?と考えて作家に転向されたと書いてあった。
 ひとつ思ったのはこうやって文章とかに書くために著者の方の名前を意識するようになった。すると、この人が自分に知識や知恵をくれる人なんだって思うようになる。そういう意識が湧くと文章に人格?みたいな、相手のぼんやりしたイメージ像が湧く感じがして、会話感が出てきたかもしれない。

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