攻撃されるかどうかは、あなたが何をするかではなく、どういう人に見えるかによって決まる(本文より引用)
人間関係には困りことがつきものだと思う。話し合いなどでお互い納得して解決できれば良いが、なかなかそうもいかない。離れられるような人間関係であれば、距離を置く、会わないなどの対策も取れるだろうが、みんながそういう環境ではない。そうこうしているうちに時間だけが経ち、何をやっても解決しないんだという諦めや無力感に包まれ、問題はどんどん根深く、大きくなっていってしまう。
そんな状況でもこういうことに気を付ければあなたに対する攻撃はなくなっていきますよ、ということを教えてくれるのが今回の本。著者のJoeさんは離婚したくてもできない夫婦のモラハラ問題に取り組んでいるモラハラ対策カウンセラーとして、ブログなどを通じて活躍されている。
この本が教えてくれる1番大事なことは冒頭にも書いたように、「攻撃する側があなたをどういう人間だと見ているか」ということ。具体的にいうと、弱くて有害な人間だと思われると攻撃のターゲットにされる。この時に注意してほしいのが有害の基準である。有害かどうかは相手が独断と偏見で決める。相手が有害だと思えばどんな性質も有害認定を受けてしまう。顔がいい、頭がいい、友達が多い、なんか楽しそう、真面目、面白い、声が小さい、など一見トラブルとは無縁に見えるようなものも相手が有害だと思えば攻撃する理由になってしまう。「ヘラヘラ楽しそうに生きていないでもっと真面目に考えろ」とか「真面目なだけで、ユーモアがないよね」など。ネガティブな表現に変換してみるのもわかりやすいかもしれない。なんか楽しそう→緊張感や真剣みがない、真面目→マニュアル重視で対応力がない。世間的に有害かどうかでなく、相手が有害だと決めつけるというところがミソである。
だから攻撃されている内容は必ずしも世間的に正しい内容であるとは限らない。言われた内容全てを受け止めて傷つかなくていい。攻撃したくなるような理由があるからといって実際に攻撃してしまうというのは相手の心の問題で、相手の課題である。
攻撃される理由がわかったあとは、実際にどういう対応をしていくのか?ということ。やることはシンプルで淡々とした態度で接することを心掛ける。詳しく書くと「相手が責めようがない程度に、無難なリアクションの範囲内で最小限に薄い態度(本文より引用)」になる。冷たい態度といったイメージだろうか。本書では悪人になるイメージだと書いてある。
なぜこの対応が有効なのか?これには攻撃されない人ってどういう人なの、ということが関係している。攻撃されない人というのは、必ずしも強い人ではない。穏やかで、無表情で、感情の起伏がない人は攻撃のターゲットにされにくい。静かだが弱そうには見えない人。もっと言うと何を考えているのか外見から読み取りくい人ということになる。本書の中では「得体の知れない怖さ」と表現されている。これを相手に醸し出していくのに有効なのが淡々とした態度で接することであり、相手が責めようがない程度に無難なリアクションの範囲内で最低限の薄い対応になる。
発言する時などは短く、穏やかに、言い切ることが大切だと書いてある。淡々としすぎて相手を今よりも刺激し怒らせてしまっては元も子もない。攻撃したい人は、どんな些細な出来事も攻撃する理由に仕立て上げてしまう。なので淡々とした接し方が失礼な接し方にならないように気をつけないといけない。無表情も相手からすれば「なんだその顔は」と言われてしまうのでよくない。相手への対応は最低限にするが、なくすということではない。減らすイメージだと書いてある。
ざっくりした内容を書いてみたが、この内容だけでも解決への糸口が見つけられるかも知れない。本書にはもっと詳しくこんなことにも気をつけた方がいいなど、まだまだたくさん役に立つことが書いてある。実際に困っている人は是非読んでみるといいと思う。
自分自身は読んでいて、「僕は攻撃する側でもあったし、攻撃されている時は僕の〇〇な性質が有害認定を受けてたんだな」と学べた。人を攻撃してしまっているのは、自分自身の物事の捉え方の問題なんだと知れば不要なトラブルは起こさずに過ごせる。そもそも自分が他人を攻撃してしまっていることに気がつける。攻撃される立場からすると、苦手な人との接し方も具体的なイメージが湧いて動きやすくなる。攻撃をなくすためには、相手を理解するとか報復してやり込めるのではなく、毎回面白くないリアクションを返し続けて相手に飽きてもらうのが大事だった。
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